2013年1月1日火曜日

橋下徹は原敬である


橋下徹大阪市長について幾ばくかの人物評論が書かれている。が、どれもゴシップの域をでていない。出自に関わるさもしいものが多く、評論とはとてもいえないレベルのものばかりだ。

橋下徹とは一体何者なのか。彼はそんなに複雑な人間ではない。ここでは原敬という戦前の政治家を補助線として紹介したい。政策において彼ほど橋下のやろうとしていることと一致している人物はいないからだ。

まず橋下といえば大坂都構想であるが、これは府と市の二重行政の非効率性を解消するために企画されたものである。そして原敬も長年の懸案であり、当時府県と町村の間にあった行政単位である郡を廃止している。行政上の非効率性の温床となっていたためである。

また市長はいわゆるブレーンを多数配置することで知られているが、原敬も高級官僚の自由任官制についての規制を緩和している。
 
橋下は小選挙区制における大政党による強力な政治を評価しているが、原敬も選挙法を改正して小選挙区制を導入した後、選挙で大勝を収めている。

原敬は平民宰相といわれたが普通選挙の実施には反対した。これは彼が労働組合の台頭を怖れたからである。労組嫌いの橋下と共通しているだろう。

平民宰相といわれ、当時の薩長藩閥政治支配の政界にあって、彼の平民出自は庶民にとって逆に大きなアピールポイントになった。橋下も必ずしも恵まれた出自ではなかったものの国民の人気を得て政界の風雲児になるまで上り詰めた。

橋下は一方で右翼的といわれるが明らかに違うはずだ。彼は単純に経済合理性で説明できない既得権益やタブー視されているものが生理的に許せないだけなのだ。彼が右翼的にみえるのは戦後の既得権というものがサヨクによって独占されていたことを示しているだけである。

彼は自他共に認めるケンカ好きでケンカに強い。ケンカに強いのは勝てる相手としかケンカしないからだ。原敬もそこがうまかった。反政党政治の元老である山県有朋を正面から敵にしようとはせずむしろ懐柔した。橋下も注意深く誰を敵にしないかを見定めている。

そんな原敬も東京駅で刺殺された。

個人的には原敬について、彼が暗殺されなければ日本は英米との戦争に挑むこともなかったのではないかというぐらい評価している。

ここだけは真似されないよう祈っている。

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