道州制については、安倍政権を支持する支持者においても拒否感と警戒感が強い。これは当然で、今まで流布されている道州制論はすべて左派からの発案だからだ。
その主目的は中央政府から予算と権限を奪い、外国人参政権で止めをさす。メディアもそのことがわかっていながら嬉々として地方「主権」と言い流す。
ここでは自民党が出すべき、そして出してくるであろう道州制論を冷静に分析したい。
まず道州制論と地方分権はイコールではない。
参考になるのはドイツの例だ。簡単に言えばドイツでは、中央政府は外交安全保障問題を集中的に担当、州政府は主に空港や港湾施設などの産業政策を管轄、そして生活に関わる行政を都道府県が担う。つまりドイツの狙いは行政の役割分担と責任の明確化と階層化だった。
道州制がなぜ必要なのか。日本は公共事業で都道府県ごとに小規模な空港を作って、韓国や中国の空港に規模と集約化で負けてアジアのハブ空港になれなかった。港湾施設もそうだ。神戸や横浜の港湾施設はアジアのハブになる可能性を秘めていたのにそれができなかった。
その処方箋の一つとして出てきたのが大阪都構想であるが、維新の都構想は民主党が考えていたような日本解体のような地方主権とは違うように見える。維新の最大の眼目は産業力強化と都市基盤の整備だ。
維新の橋下市長も国政に手を掛けている以上、おそらくこの案に近いものを考えていると思われる。彼の地方主権構想は大阪都構想のためのレトリックの部分が大きい。
軍事基地をどこに置くかで地方議会の反対にあって、10年以上も停滞するようなざまでは国防はおぼつかない。中央政府の仕事、地方自治体の仕事、その役割分担を明確にすること、それは決して日本の弱体化に繋がらないと考える。
いやむしろ国権の強化という意味で好ましい。安倍政権を支持するような支持層は道州制を全否定せず、換骨奪胎の発想が必要だと思う。現在のように基地問題で地方自治体の反対によって内閣が吹っ飛ぶような状況はさすがに異様である。
とはいえ問題もいくつもある。特に州政府を担う議員の質だ。はっきりいって地方自治の議員の質は低い。中央政治はメディアの監視を受けるので(日本のメディアの質も大概であるが)、それなりの議員の質は保たれている。地方議会の質は予想以上にひどい。そこをどう改善していくか。
道州制だからといって全否定する必要はない。道州制という言葉が独り歩きしているならば、”広域中間行政の創設”と言い換えても良い。行政の階層化と役割の明確化を進めることで、行政ごとに適した人材を議会に送り込むことも可能になるだろう。道州議会なら産業政策に精通しているビジネスマンなどが対象になるだろう。
大事なことは国民の声として道州制を国民にとって好ましい形に作り変えることである。国会の議論をリードするような国民の声を政権に伝え要望していくことである。そしてそれは主権者の権利なのだ。