弱者の政党というものがある。
日本では共産党、公明党、旧社会党、社民党、そして民主党などがこれに当たる。
弱者の政党が勢力を拡大するとはどういうことか。それは弱者を増やすことに他ならない。
弱者は生かさず殺さず。豊かになってはいけない。経済的に自立させてはならない。弱者の拡大再生産こそ弱者の政党の最大の政策目標なのである。
これは致命的な自己矛盾ではないか。
例えば自民党は金持ちを増やすことが自党の勢力拡大につながる。国益と党益が同じ方向を向いているのだ。その意味で矛盾はない。みんなが豊かになればみんなが幸せになる。
しかし弱者の政党は違う。みんなが貧しくなることで弱者の政党は幸せになってしまうのだ。
弱者の政党の嫌らしいところは弱者を生産しているにもかかわらず彼らを保護することによってそのことを隠蔽してしまうことだ。
彼らの言っていることに注意深く耳を傾けてほしい。彼らは弱者を保護しろとはいうが弱者を減らせとは口が裂けてもいわない。弱者を減らしてしまえば自分を支持してくれる勢力も無くなってしまうからだ。
彼らは"自助”という言葉を蛇蝎のごとく嫌う。誰かに依存すること誰かに依存する人間を大量に作り出すこと、それこそが彼らの出番につながるからだ。自助の精神など彼らには一銭の得にもならない。
部落開放同盟の創始者である松本治一郎に有名なエピソード(出典不明)がある。
同盟の祝賀会場で挨拶に立ったある人物が「これからの益々の発展を願って・・・」と挨拶しようとするとそれを止めて、「解放同盟が益々発展するような事態になって困る。将来差別が無くなって解散して必要が無くなることこそが願いだ」と述べたという。
差別をなくすことが目的なのにいつのまにか組織を拡大することに目的がすりかわってしまう。はては組織を維持するために差別自体を作り出さなければならなくなる。手段であった組織拡大がいつのまにか目的となる。
弱者の政党も同じである。
生活保護受給者が200万人を突破したという。民主党は弱者の政党として確かにその”仲間”を増やしたのである。
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