検察の不祥事が相次いでその信用が失墜しつつあり、東京地検特捜部もその機能を停止するような事態にまでなっている。
検察官の暴走を招いたものは何だったのか。自分はそれを起訴便宜主義にあると考える。
起訴便宜主義とは何か。刑事訴訟法248条によれば、検察官が必要しないときは公訴を提起しないことができる、と定められている。つまり検察には起訴に関する幅広い裁量権が認められており、容疑者の年齢や性格、罪状や情状を考慮して起訴を猶予する権限が認められているということである。そして各国と比較してかなり徹底されているといわれている。
日本の場合起訴便宜主義と有罪率99%の組み合わせが、裁判を形骸化している。裁判の真実性をめぐる責任が裁判官側ではなく検察官側に、プレッシャーがかかってしまっている。
なぜなら、検察官が自分が起訴した事件は、絶対に有罪に持ち込むことができなければ、自分の評価に大きな傷がつくと考えるようになるだろう。
厚生労働省の村木さんに関わる事件のように、政治家や官僚にまで捜査が及び世間が注目する事件ではなおさらである。そのため、何が何でも起訴したからには有罪に持ち込まないと考えて、無理をする羽目になる。
起訴便宜主義が明文化されたのは、公訴の乱用を抑えるためというのが一つの理由であるが、しかし検察審査会制度ができて、検察が起訴しなかった案件についても再度起訴できる仕組みができた以上、その意味合いは薄れてきているのではないか。
そもそも起訴決定主義であれば検察審査会の存在もいらなくなる。屋上屋を重ねる制度を生み出した原因もこの制度にある。
また、このような制度は検察への政治の介入を招く余地を残してしまう。中国人船長の那覇地検の不起訴はそのような事例をまざまざと示した。
しかし、検察制度を見直す審議会でもこのような提案がなされなかったというのは驚きである。
小室直樹は田中角栄のロッキード事件の起訴を厳しく批判し、これは検察ファッショであり日本はいまだ近代国家にあらずと指弾した。テレビで検察を撃ち殺せと叫んで出入り禁止になった。
国策捜査を招くような検察のあり方を是正する方法は、取り調べの可視化などではなく、起訴便宜主義から決定主義への改正である。
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