2013年2月15日金曜日

自民は維新を取り込まずライバルとして育てよ


日本の政党政治の悲劇は自民党と政策論議ができる政党が存在しなかったということであった。社会党という非現実的・空理空論のイデオローグの塊のような政党の存在が自民党の一党体制を戦後長く許してきた。

戦後55年体制と言われるこの保守革新のなれあいは、細かな政策論議はすべて行政の官僚が負担するという官僚依存体制でもあった。

そして民主党である。つべこべ理屈を言わなくてもこの政党の本質が社会党であり、政権担当能力がまったくなかったことが明々白々となった今、それに代わる政党が必要である。

現在のところそれが維新でありみんなの党である。

自民が仮に維新を取り込んでしまえば、その対抗軸として死に体だった旧社会党や民主党の面々が蘇ってきてしまう。自民の批判票を取り込んでしまえば、実体がなくともそれなりの勢力になってしまうのである。それがいわゆる民主党の政権交代と言う現象であった。

維新が保守かどうか議論が分かれているが、保守と言うものが定義上難しいものであったとしても少なくとも"旧社会党的と対立するもの”と考えれば維新やみんなはこの範疇に入るのだ。

自民は地方保守であり、維新は都市部のホワイトカラーの支持を受けた都市部保守である。民主は都市部のブルーカラー、つまりは労働者層の支持を受けている都市部革新だ。

日本の経済構造は都市部で吸い上げた税収を地方に分配することで成立している。税収を地方に分配しようとするケインズ型政策をとる自民党が、財政の中身についてあまり問わないのに対して、税をとられる都市部の支持層を持つ維新がその財政の中身に効率性を要求するのは当然である。

自民は都市部のサラリーマン層と地方の税収分配層を同時に代表することはできない。経済の下部構造がそれを構造的に許さないのである。代表しようとすれば政党の特色が薄れ、どっちつかずの、何をしたいのかわからない政党になってしまう。

とはいえできる可能性はある。2~3%程度の比較的高度な経済成長を実現できた場合だ。この場合成長の余力を地方に配ることも都市部層も寛容になれる可能性はある。とはいえ現在のところ1~2%台が現実的なところを見ると自民と維新(みんな)が一緒にやる余地は少なくとも今はないと考える。

自民は政策論争のできるライバルとして維新を育てるべきである。育てるとはすなわち、取り込もうとせず、是々非々の政策論議をしてその様子をマスメディアに露出させることである。そうすればメディアの低レベルな批判など相手にされなくなる。

現在のような急進的な小選挙区制度を続けるのであれば、政権交代は常に可能性として存在する。スキャンダル一つで政権の座からずり落ちることだってある。その場合、民主党のようなどうしようもないサヨク政党に政権が二度とわたることがないように、代替の政党として維新を育成する義務が自民にはある。

取り込んで一体化するなどというのは下策である。一緒にならなくても改憲は可能である。というよりそのほうが可能性が高いのだ。

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