2012年12月28日金曜日

なぜ金融政策に目がいかなかったのか


ようやく政府と日銀が金融緩和の方向に姿勢を変えだした。

だがそもそもバブル崩壊直後から日銀に対して強力な金融緩和を求める声は決して少なくなかった。金丸元自民党幹事長が「にんじんでも何でも日銀に買わせろ」といったのは正しい。

今回金融政策に大きな変化が見られたのは安倍総理自身が野党時代にしっかり勉強されたことが大きい。逆に言えば安倍さんが金融政策の重要性に気がつかなければ政策変更はなかったということである。これは恐ろしいことでもある。

なぜ過去20年間金融政策に目が行かず構造改革と財政政策に偏重してきたのだろうか、幾つか理由を挙げてみる。

まず高度成長期時代を享受してきた世代は「ものづくり日本」の成功体験が焼きついていることが上げられよう。文字通り戦後日本の高度成長は電気産業をはじめとする製造業の成功によって支えられ実現されてきた。

このためこの世代には「景気が悪いのは良い製品を生み出すことができないからだ」という方向にデフレの原因を見出そうとする。また「お金を刷って景気回復など邪道だ。経済はそんなものではない」などという風に金融政策に価値をおくことをよしとしない。

こういう風潮や思い込みが特にメディアの金融政策についての無理解につながったと思われる。現在でも金融緩和に懐疑的なマスコミ人は60代の人が目に付く。時代に追い越されてしまっているのにポジション的に編集部などにいるので性質が悪い。

次に自民党の体質にも原因がある。戦後のケインズ政策のもてはやされ方は政治家が財政出動を行う代わりに主に建設業従事者の票をもらうという行為を正当化した。自民党は「不況だから公共事業をうちますね」と不況を言い訳として政府支出の増大を行うことができたのである。

言い換えると不況が克服すべき課題ではなく公共事業を行うための免罪符として作用してしまった。ここに不幸の原因がある。

誤解してほしくないのは公共事業が悪だということを主張したいのではない。マクロ政策として財政政策を活用するのは当然の行いであり正しい政策なのだ。財政政策は特にインフラの整備と余剰労働者の有効活用につながる。

ただしそれが政治の世界になるとどうしても議員の利益誘導の正当化のために使われることも自然なのである。これが議員にとって金融政策に目が向かない一つの大きな要因になったことは事実であろう。

つまり議員は財政政策さえやっていればいずれ景気は上向くと考えがちになり金融政策については日銀の不作為を事実上放置黙認してしまうことになったのである。

さてそのような財政政策偏重の姿勢に対して当然異議申し立てがやってきた。それが構造改革路線である。

大きな政府では民間の活力は生み出すことはできない。民間の投資を引き出すためにも政府は支出を増やすのではなく減らしてその分減税などで民間投資を促そうという政策である。それには規制緩和が必要だというわけである。

ただしこの路線が有効であるためには政府の支出が民間投資を妨害しているというクレディットクランチの前提がなければ正当化できない政策である。

要はインフレ時の政策なのだ。しかし財政政策がうまくいかない期間が長く続いたので財政政策を見直しから自然と出てくる政策アイデアではある。

これは一見正しい政策のように見えるが考えてみると構造改革路線はマクロ政策ではなくミクロ政策である。

ミクロ政策は経済産業省などが不断の政策課題として産業ごとに適宜実行すべきもので本来は景気対策とは別物のはずである。

マクロ政策とミクロ政策は本来互いに反目しあう政策ではなく独立している間柄である。にもかかわらず日本では財政政策偏重のアンチテーゼとして構造改革路線が出てきてしまった。これが議論を混迷させた一因になったと思われる。

構造改革路線は非効率な分野を効率的にして生産性を上げる。生産性をあげるということは人員を減らして生産量を上げるということである。労働者が余剰な環境においてさらに人員を削減したらどうなるか、子供でもわかる論理のはずである。

構造改革路線はデフレの政策ではなくインフレ時の政策であることにもかかわらず財政政策のアンチテーゼとして出てきたのでその当然の疑問に対して聞く耳をもたれなかったのが第二の不幸であった。

以上金融政策に目が向かない主に3つの原因を挙げたがどうだろうか。

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