2013年1月16日水曜日

体罰を生み出すもの


高校の部活に汗と涙と体罰はつきものである。テレビはそれを美しく描くし、生徒もそれを愛のムチだと一生懸命思い込もうとする。じゃないとやってられない。

しかし、冷静に考えれば、”たかが”部活で体罰の必要があるのか。これは先進国ではかなり特異な慣習だろう。世界の学生スポーツにおいて、熱狂度で日本の高校野球が誇る甲子園に匹敵するのは、アメリカのカレッジフットボール(大学アメフト)だろうが、だからといって一回試合に負けたからといって、アメリカ人選手は泣かないだろうし、コーチも殴ったりしない。なぜだろう。

カレッジフットボールにあって、高校野球にないものは、地方予選に当たるリーグ戦、つまり総当たり戦である。アメフトには地方ごとにリーグ戦があり、その成績上位のチームが本選、つまり全国大会に出場する。これが日米人気のある学生スポーツにおいて、根本的な違いを生んでいる。

高校の全国大会は、スポーツジャンル問わず、ほとんどすべて地方予選からはじまり、全国大会の決勝で終わる、長い長いトーナメント方式で行われる。たった一人のチャンピオンを生み出すために、その他全員の敗者を生み出さなければならない。トーナメントは負けたら終わりの勝ち抜き戦である。勝者は次の試合への参加権を取得できるが、敗者はそこで終了である。

リーグ戦では総当りの結果、勝ち数が多い順にチーム順位が並んでいくわけで、負けても次の試合が無くなるなんてことはない。

負けたら終わり、これはものすごいプレッシャーである。負けた時点で勝つことも負けることさえもできなくなる。このプレッシャーは当然、指導者にも圧し掛かってくる。名門校や強豪校の指導者ならなおさらだろう。そのプレッシャーが指導者に体罰を正当化させ、バスケットボール選手の自殺まで引き起こした遠因となった。

そしてこのような大会形式は、当然指導者の指導内容に影響を及ぼしてくる。もし高校野球がプロ野球と同様にリーグ戦であったなら、コーチは選手のローテーションに気を配るはずだ。そのことはつまり、選手の体調管理を目の前の試合のためではなく、リーグシーズンを通して気を配ることになるということだ。

有力選手を目の前の試合に勝たせるためだけにぶん殴ったり、連投させたり、酷使する必要はない。むしろその時々の調子のいい選手を使うようになるだろう。つまりそれこそがローテーションなわけだ。せっかくの逸材を、高校野球で酷使して肩をだめにして、使い捨てにする現状はあまりにも残酷である。

またローテーションは、所属選手の有効活用につながる。実力が少々足りないからといって、万年補欠扱いするのではなく、リーグ戦なのだから弱いチームと当たる場合は、補欠選手を優先的に試合に出してやって経験を積ませることが可能になる。そしてその分レギュラー陣を休ませることができる。これなどは、オシムやセルジオ・越後などの知日派外国人が常々言っていることである。

今のトーナメント方式だと、世間が注目する全国大会に出られる可能性のある一握りの名門校に、優秀な選手が集中してしまう。これに対してリーグ戦ならば、負けても試合が廻ってくる。露出のチャンスも増える。したがって越境留学の問題なども解消されるだろう。選手の”地産地消”が実現するというわけだ。

というわけでいいこと尽くめのはずだが、なかなか実現しない。それを改善できるのは文部省しかない。また橋下市長もそこまで視野を広げて問題に対処してほしいと思う。
 

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