2013年1月7日月曜日

東北諸藩は二度負けた


日英同盟とはすなわち明治政府を作った薩長政府と英国との同盟すなわち薩長・英同盟であった。日英同盟を締結した当時の内閣は桂太郎内閣であった。その内閣の出身(本籍)を見てみよう。

首相:桂太郎(山口県)
外務:小村寿太郎(宮崎県)
内務:内海忠勝(山口県)
大蔵:曽根荒助(山口県)
陸軍:児島源太郎(山口県)
海軍:山本権兵衛(鹿児島県)
司法:清浦圭吾(熊本県)

まあ見事なまでに長州閥内閣というか九州+山口政府なわけだが、薩長とイギリスは一度戦った中でその後イギリスの支援を受けて明治維新を成し遂げたわけだ。その”余韻”が日英同盟の締結に寄与したことは間違いない。

長州は大内氏のもと明との貿易で稼いだ実績を持つし、薩摩藩は琉球を間接支配して長州と同様に明との貿易で稼いだ実績をもつ。両藩ともに交易によって海外への視点と下地を確保できていたのだろう。これが同じ海洋国家イギリスとの関係を厚くした。

次に日独伊三国協商を締結した第二次近衛内閣を見てみよう。

首相:近衛文麿(京都府)
外務:松岡洋祐(山口県)
陸軍:東条英機(岩手県)
海軍:吉田善吾(佐賀県)
内務:安井英二(東京都)
大蔵:河田烈(東京都)
司法:風見章(茨城県)

内閣の重心が桂内閣から近衛内閣まで明らかに西から東へと移動していることがわかる。内閣だけではない、満州国や関東軍と東北出身者との関係も深い。

関東軍の幹部である板垣征四郎は岩手県、石原莞爾は庄内町は山形県、海軍の山本五十六も山形県出身だった。日独伊三国協商を強烈に支持したのは板垣征四郎である。

満州鉄道初代総裁の後藤新平は岩手県出身であるし、満州映画協会理事長の甘粕正彦は宮城県出身であった。

今年の大河ドラマは会津若松が舞台である。その会津藩庄内藩が戊辰戦争の最中にプロイセン(ドイツ)に対して蝦夷地=北海道を譲渡する代わりに最新鋭の武器を売却してくれるようお願いしたという資料が昨年発見されたとNHKで放送された。

このときはプロイセンが同意しなかったため成立しなかったが、半世紀の時を経て東北とドイツの連合が成立したわけだ。つまり日独同盟とは東北・独同盟だったわけだ。

薩長とイギリス、東北とドイツ、この組み合わせが時代を超えて国際的な連携につながったというのは興味深い話である。しかし一方は大成功し、一方は国を破滅に追いやったという事実は重く受け止めなければならない。

これをもって日本の統治権力は西に重心が傾いているときはうまくいき東にいくほど悪くなる、というのは言いすぎだろうか。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

そういえば小沢一郎は岩手、鳩山由紀夫は北海道だった。安倍晋三はもちろん山口出身である。

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